リアルオーガニックを求めて

向山 洋平 さん

向山 洋平 さん

1979年生まれ(35歳)
有限会社 黒富士農場 営業企画
(取材時)
東京農業大学で学んだ後、アメリカに留学。バックパッカーで世界を旅行した後、CGの制作会社に就職し、29歳で山梨に戻る。今年5月に代表取締役に就任した。

2015.6.15
リアルオーガニックを求めて
第17回は山梨県の標高1100mの山深い農場、黒富士農場で向山さんを取材。まだ渡り鳥のいる季節なので鶏は屋内、芽吹きもまだ先、おまけに冷たい雨、そして黒富士農場で水道管の漏水発生という、見事な悪条件の中の取材でしたが、そのトラブル(その後場所を特定し、事なきを得たそうです)のおかげで、鶏を育てる上でのとても大事なことを知ることに! 身近な卵なのに、初めて知る話がたくさんで暗〜い気分もふっ飛びました。
  • 農場はお父さんの代から始められたんですか?
  • 向山 アイコン祖父が山梨の塩山でブドウ栽培と養鶏をやっていたんですが、政治の世界に入ってしまったので父が引き継いたんです。本格的に養鶏を始める前に、外国の養鶏を見てみたいとヨーロッパをあちこち回った。だから黒富士農場の根底にあるのはヨーロッパ式の養鶏なんですよね。父はデンマークやオランダに影響を受けたって言ってました。
  • 日本の養鶏と何が違うんですか?
  • 向山 アイコン最近、日本でもさかんに言われてきている「アニマル・ウェルフェア(動物福祉)」を、当時からヨーロッパでは実践していたんですよ。愛着持って育ててやる。その頃の日本の養鶏は大量に育てるアメリカ式でしたからね。
  • 農場までは下界からずいぶん登って来ましたが、初夏はどれだけ美しいところだろうって想像出来ますね。
  • 向山 アイコン一番閑散とした季節じゃないかな、今は(笑)

  • ここにお住まいだったんですよね、学校に通うのも大変だったでしょう?
  • 向山 アイコン小さい頃はスクールバスが回ってきてたんですが、それはこの山の下まで。帰りは途中まで親が迎えに来てくれましたよ。弟もいたし「ま、こんなもんか」って思ってたけど、遊びに行きたい年頃になるとね〜、いろいろと(笑)。
  • ストーブを焚く向山さん

    まだ肌寒い日で、薪ストーブを燃やしてもらうことに。オフィス前のゲストハウスは、古い建材を使った、とても居心地の良い空間。子どもたちの見学会の時にも使う。

  • スクールバスがない年齢になってからはどうしたんですか?
  • 向山 アイコン自転車通学で。行きは下りだからメチャメチャ速いんですけど、帰りは途中で上れなくなるから車で拾ってもらって。

  • 登れなくなるほどの坂道なんて……自転車部じゃないんだから。
  • 向山 アイコン高校になると原付バイクで。雪が降れば転びながら(笑)。
  • その後は、農場を継ぐつもりで学校とか決めました?
  • 向山 アイコン東京農大に行ったんですが、高校生の頃は多感な時期だから、明確に進む道を決めてたわけじゃないですね。ただ応用生物化学科は面白そうだ!と。
  • お父さんには「こうしろ」とか「継げ」とか言われたんですか?
  • 向山 アイコンとりあえず30歳までは自分の好きなことをやれって言われてたんですよ。大学を卒業してからアメリカに1年半留学して、英語を身につけて。その後、何ヶ月間かかけてヨーロッパとかを旅しました。親父が行ったデンマーク、それからオランダ、アフリカはタンザニアまで。エジプトは1ヶ月くらい滞在しましたね。遺跡が好きなので、ヨルダンなんかすごく面白かったですよ。
  • 今は危険で行けなくなってるところも多いから、貴重な体験でしたね。
  • 向山 アイコン中東は本当に素朴な人たちばかりで、ISとか戦争なんてあの当時は想像も出来なかったですね。
(17) 黒富士農場 向山 洋平 さん