何でも作れるけど、基本は魚!

島香 友一 さん

島香 友一 さん

1978年生まれ(37歳)
丸友しまか有限会社 専務
製薬会社でコンピュータのサポートやメンテナンス業務に就くが、突然の帰還命令により岩手に戻る。魚屋となり、仕入れから加工、販売と忙しく飛び回る。

2015.9.1
何でも作れるけど、基本は魚!
第19回は岩手の魚屋さん。東北新幹線を盛岡で下車し、宮古市に着くまで、列車でも車でも2時間かかる。東京〜盛岡が2時間20分だというのに、遠いぞ!宮古。日本最東端とか言われてもちょっとピンと来ないが、リアス式海岸の美しい海に面した漁業の盛んな町だ。東日本大震災では甚大な被害を受けたが、なんと宮古魚市場は1カ月で再開し、ニュースにもなった。ただ、いまだに福島原発事故の影響は大きいし、町には工事車両が行き交っている。
と、ちょっと重い話で始めたが、明るくて元気な島香さんの話は重い空気も吹っ飛ばす。魚屋さんか何屋さんかよくわからなくなる、彼のお話をどうぞ!
  • 高校卒業後はすぐに丸友しまかに就職ですか、それともお寺で修行か、格闘関係? あ、すみません見た目で聞いちゃいました。
  • 島香 アイコン違いますよ〜。大学受験に失敗しまして、取引のあったオーガニック宅配の“地球人倶楽部”というところで1年間修行させてもらったんです。事務作業に、現場でピッキング作業なんかもしたり……。ドライバーさんからは「おまえんところの商品はな、評判がいいんだから会社つぶすなよ」ってしっかり釘をさされました(笑)。
  • 魚の世界にはすぐ入らなかったんですね。
  • 島香 アイコン1年後、うちの社長、父ですけど「これからはコンピュータの時代だからそっちの勉強をしろ」と。さっそく父が決めた専門学校の試験を受けて、2年間勉強しました。
  • おっと、父の横暴が早くも炸裂しています(笑)。その後は?
  • 島香 アイコン「どうすればいいでしょう」とお伺いを立てたら「おぅ、好きにしていいぞ」っていうので、製薬関係の会社でコンピュータのサポート、メンテナンス、システム構築なんかをしてました。そうしたらある日突然、父親から電話で帰って来いと。
  • ホタテをチェックする島香さん

    入札するホタテをチェックする島香さん。丸友しまかの商品のベースは、その日仕入れてくる新鮮な魚。どんな値段でどんな魚を落とせたか。セリの結果は商品にも大きく関わってくる。そう、仕入れはとても責任重大な仕事なのです!

  • 何年かしたら帰ってこいとか言われてたんですか?
  • 島香 アイコンいや何も。僕は30歳になったらうちに帰ろうと思ってたんですが、呼び戻されたのが28歳の時。役職もついてきたところだったんで、少し躊躇したんです。会社に人手が足りなくなったらしく「親が困ってる時に帰って来られないんなら、もう一生帰ってこなくていい」と。で、帰りました。
  • 島香さんにとっては笑い事じゃないと思うんだけど、横暴もここまでいくとステキだわ(笑)! でも、システム構築ができる魚屋さんとか、ちょっとカッコイイなぁ。
  • 島香 アイコンいやいや辞めて随分たつので、もうついて行けないです(笑)。でも、それまで手作業だった会社のいろいろなものを全て変えていきましたね。最近は誰でも入力できるような仕組みを構築していってます。社長は僕を見てるから、コンピュータがいじれるっていう人間に「ちっ、これもできねーのかよ」とか暴言吐いてますが(笑)。
  • いやいや、比べる人が悪いから。まぁお父さんらしいというか。ところで、らでぃっしゅぼーやには何を入れてるんですか?
  • 島香 アイコンサンマフレーク、イカの塩辛、カットわかめ、エビカツ…というか、それしかない! 震災と原発の事故の影響で、随分回復はしてるんだけど、震災前まで戻っていないですね。
  • あーそうか〜。被害はどうだったんですか?
  • 島香 アイコンうちは海から5キロ離れてるんで大丈夫でした。電気も数日で復旧して、冷蔵庫も開けないようにしたのでどうにか。津波は見てなかったので、次の日に港へ行って事の重大さを知って、もうこの仕事は無理なんじゃないかと思いましたね。
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